20180418

読書会が来週に控えているため参考文献・サイトを色々と見始めました。

課題本に直接言及している文章は少なく、大抵作者そのものの論か、デビュー作についてのものばかりです。そのデビュー作を高校の時に読んだきりであまり覚えていないのが痛く、再読すればいい話なのですが時間に余裕がありません。どうしたものか。

ところであやふやな文学知識で今回は持論を押し通すつもりなんですが、何故か毎回読書会では課題本を超えて自分の妄想的な考えを主張しようとしてしまいます。読書会は1回、架空読書会も1回経験したことがありますが、そのどちらも我ながら頑張ったとは思いますがレジュメを読み返す勇気がありません。今回もまたそうなるんだろうという予感がありますが、まあ読書会はライブみたいなもので、その場にいる担当者と参加者だけが共有できる一回性のもの、みたいな認識が僕の中にはあるので、それはそれでいいんですが。でももう少しクールな読書会をやってみたいですね。テキストから解ることだけを緻密に分析する読書会。無理だと思います。結局読書会と言いつつ小説を書いているようなものです。

読み返すときのつらさは、自作の小説でも同様のことが言え、自分のエモーショナルな部分を極力排した、趣味に徹した作品のほうが気楽に読み返すことができます。減点法では傷が少ないものの加点法ではあまり点数を稼げない作品、ということになるんだと思います。それがいい作品なのかは知りませんが。

 

話は変わりますが、僕は大林宣彦の作品は『時をかける少女』と『天国にいちばん近い島』しか見ていませんが、過去に自作で尾道三部作のうち二作をモチーフに使ったことがあります。もっともそのうちの一作は大林版というよりとり・みき版の短編で、書き始める際に確認したのも山中恒の原作小説のみなので、モチーフ、と言い切れないところもあるのですがそこはそれ。今回長編を書き終えてみてようやくその符号が(偶然ですが)成り立っていることに気が付きました。大林にもおそらくジュブナイルSFのツボがあると思います。僕も一時期山中恒を元ネタに何か書けないか、と思っていた時期があったので解ります。で、この流れで行くと、今度は尾道三部作の残る一作を使って何か書かなければならないということです。尾道三部作もそうですが色々と見なければならないものがたくさんあるようです。南原が大林監督・重松清原作の映画に出ているそうで、これも見たい。

 

引用とサンプリングは何が違うのかという話がありますが、小沢健二の「愛し愛されて生きるのさ」を例にとってみますと、

10年前の僕らは胸をいためて「いとしのエリー」なんて聴いてた ふぞろいな心はまだいまでも僕らをやるせなく悩ませるのさ 

 「いとしのエリー」が引用で、「ふぞろいな心」がサンプリングですね。(「いとしのエリー」が主題歌のテレビドラマ『ふぞろいの林檎たち』より)

たった十年前なのか、という驚きもありますがそれはともかく話をサザンへ接続して「見つめ合う」という歌詞の意味合いの変化など書きたかったのですが、歌詞検索をしたところ持論が崩れてしまったので今度リベンジします。オチのない話ですみません。