進捗メモ12

自動車の免許をとうとう取得しました。運転する予定が皆無ですが、怖いので田舎でしか走りたくありません。

 

原稿の進捗。現在39000字。予定より遅いです。それでも僕が今まで書いてきた中では一番長いです。

助走を終える、というところまで書きました。これからお話面で苦労することはなさそうです。それを書ききれるかが問題です。

語り手の行動に制限をかけたためキャラクター間の結びつきが弱くなってしまった気がします。そうでもしないと小説を制御できなかったのでしょうがないんですが。しかしこれも一種のメタフィクションで、パロディと言い換えてもいいんですが、となるともっと典型的な人間関係を用意しておくべきだったかもということに思い至りまったく後悔先に立たずです。まあこれから話が進めば解決するかもしれませんが。

一つのパートで一場面、みたいな感じになってしまっていて、もっと小回りが利く書き方をしたいなあと思ってます。これもキャラ設定に由来する話ではあります。自分で読んでも解りませんが、きっと展開が遅く感じられるような書き方になってしまっている気がします。おそらく自分は省略が下手で時系列に忠実な書き方ばかりしているんだと思います。プロット練りが下手だということです。読む上であまり気にしてこなかったからですかね。あとは設定を考えるのに興味がない、というのもありそうです。特に説明をする必要のない世界しか書いてない。異世界転生を書いて修行をするべきなのかもしれません。

前の原稿で使おうと思って再読した『箱男』がむしろ今の話のほうに合っていて、これは僥倖です。うまく使わないとダメですけど。本当は読み返したい本がたくさんあるのですが時間に余裕がありません。

以前書いて自分で気に入っていたものを片っ端から再利用しています。主に表現面での話にとどまりますけど。我ながらリライトできるほどの話は今まで書いてないんですよね。

ガジェットの解体が好みなのに今回は深く考えずにそのまま受け入れている気がします。これは良くない兆候です。最後は頑張るつもりですが、もっと追及すべきだったか。まあ筆力との兼ね合いの結果でもありますしほかの人は面白いと思わないだろうという気もするのでしょうがないんですけど。

 

 

クリシェと化しつつあるが今後も自覚のないまま使われそうな表現など。

・大勢の人移動する様を見て「ゲルマン民族の大移動のように」。(二、三回見かけた。これは自分も使ったことがあるはず)

・「お味はどうですか?」という問いに「空腹は最高の調味料だね」と返す。

 

借りていたディクショナリーを返す際に「ラブ」という言葉だけ切り抜いて、それがグッバイ、グッバーイになるようなこともなく(無理やりな接続)、語彙が貧困なもので類語をよく調べますが、言葉ってよくできているもので、ある言葉を完全に別のものに置き換えることってなかなかできないんですね。それをするにはいくつかの言葉を補う必要があり、それが面白い表現になればしめたものですが。

 

時代感覚について。

例えばうちの父親は64年生まれですが、その世代の芸能人や作家、漫画家などは今の文化にシームレスにつながり、それよりも前の世代の文化となると一気に古臭さが増し、現在に通じるものを持った人々はやはりかなりの少数派になるという印象があります。しかし父親の感性を見ると時代の最先端ではなかったようで、本当に父親と彼らが同年代なのか、と驚くことがあります。60~64年頃に生まれ80、90年代に活躍した人はそのまま現在も時代を牽引しているというのに。

いつだって新しい時代へ対する嗅覚が優れた人とそうでない人がいて、そういうのは後世になれば歴史の後知恵で「あの人には先見性があった」とか「彼は時代遅れの感性を持っていた」みたいなことを言えますが、同時代の人間にはそういうことって解らないもので、まず新しい感性を携えて登場した人間は一番偉いですけど、それを新しいものとして拒まずに受け入れられる人も偉く、しかし何よりもそれを歴史にうまく位置づけられそれを言葉にすることのできる人はすごい!と思います。

そういう時代感覚に優れた人たちに僕は憧れがありますが、では自分の感性は新しいのかと言うと途端に自信がなくなり、流行ではなく自分の信じたものを突き詰めるしかないんだろうなとは思いますが、でも心がけられることとして、おそらく新陳代謝を良くしないとダメなんだろうということくらいは解ります。

話は少し変わりますが、一度話したことのある話を何度も繰り返す人がいます。なんとなく会話のネタって使い切りというイメージが僕の中にはあり、別の相手だからいいかとネタを再使用するときれいな残飯を客に出すような後ろめたさがあります。しかしことあるごとに過去の話を自覚があるのかないのか語りだす人は一定数存在し、話し上手と呼ばれる人もその中には含まれるのですが、よっぽどその話が気に入ったんだなとか心臓の壁が厚いなとか要は自慢話だろうとかほのめかしがあからさますぎることに気がついていないのか、とか、とにかくあまりそういう人を見るといい気分にはならず、人間社会でやっていくにはそのくらい無神経なほうがいいのかとも思うのですが、先ほどの話につなげますと、そういう人々からはオヤジくささのようなものが感じられ、つまりこれって新陳代謝の悪さのことなのではないかと思ったわけです。自分の中に蓄積された過去のコンテンツをひたすら食いつぶすような像が浮かんでくるんです。単線的な日常を送る人々だと毎日毎日変革することはできず、こういう退屈さや何やらに耐えるには反復しかなく、新陳代謝の悪さは極めて当たり前の現象なのかもしれませんけど、それに無自覚なふるまいはどうなのかとも思う一方で無自覚でないとやっていけないのかもとか思ったり。解決策募集中。と彼らを擁護しつつ、多くの場合、外部に原因があるのではなくて結局当人の問題で、体質か、怠慢による不摂生というのが実際のところではないか、というのが本音ですが。

 

まだ早いですがそろそろ知り合いが結婚をし出す時期になるという予感があります。おそらく男の知り合いが結婚してもショックを受けなそうです。小学校の同級生で、中学の頃から不良として名を馳せていた奴などは結婚して子供までいるそうですから。で、女の場合も男とそう変わらず、結婚してもそうショックではない気もします。それが過去にちょっと好きだった子ではどうかと言いますとそれでも事態は変わらず、結婚なんてただの制度ですから、彼氏ができた、みたいなものの延長線上に過ぎません。それがショックだというのならご愁傷様ですが。となると僕は冷徹人間なのかと言うとそうではなく、子供が生まれた時に初めてショックを受ける気がします。「劇画オバQ」を思い出していただければ。僕はオバQなんですね。

フィッツジェラルド的感傷」なんて言い方をしますが、将来自分がギャツビーになったとしてもそう驚きませんけど、それ以上に昔と今は違うという認識のほうが強いので現実的に考えるとグレートな感じにはなれそうにないです。

それにしてもやはり芸能人は容姿に気を遣っているようで、21歳と言えばそりゃかっこよかったり可愛かったりするわけですけど、僕の知り合いは軒並み月日の流れは残酷だと思うような変化をしています。その決定打が昨日起ったので一連の文章は追悼文でもあったのです。

ところで別に永久機関を発明しようとしているわけでもありませんが、最近は熱力学第二法則がどうにかならないものかと考えています。文系らしくエントロピーの概念を日常生活で安易にあてはめてはきゃっきゃと喜んでいますが、「あること」を考えようとすると途端に邪魔になるんですよね。ウェルズの頃からSFにはそれだけで一大ジャンルを築ける「あるもの」がありますが、それらはエントロピーをどう克服したんでしょう。集中的に読んだ覚えはないし忘れているだけの可能性もありますが、無視しようにも既に僕の中では必須の概念になっており、この場面では熱力学第二法則のある世界、ここからはない世界、みたいなことができれば……とか考えながら調べていたらイーガンが出てきました。イーガン、また読まなきゃな。あとは先月読んだ『神は沈黙せず』にも必要なことが書いてあった気もしますが手元になく……困りました。

 

気分屋なので音楽を聴くたびに「自分もこうあらねば」みたいな気持ちになり、その気持ちをぶつけるため原稿が部分的にその影響を受けます。いくつか聴きますがそれでも毎回あるものに回帰してしまい、最近は涙腺が弱いので、聴くだけでパブロフの犬的にすぐに泣き出してしまいそうになります。

 

大学入学以降口座を新たに作り、生活費とお小遣いの境目がなくなりました。お金にも困っていなかったので祖母たちから臨時収入をもらってもどうせ生活費に消えるだけだと思って無感動に受け取っていましたが、今年から貯金を始め、切実にお金を欲するようになったため、この春休みでいくらか臨時収入をいただきましたが、身に染みるように嬉しかったです。人間性が復活しました。